ユーコン川をカヌーで下る⑧ レイクラバージュ(7月19日)

要約

  • レイクラバージュでは岸から離れると危険
  • レイクラバージュでは現在地を見失いやすい
  • 14時間漕いでレイクラバージュの終盤へ
曇り空

テントの中で夢を見ながらも感づいていたが、外は風がありかすかに雨が降っていた。

スコットに教わった通りに食器はベアバレルの上に置いていた。それはそのままだった。クマは来なかったようだ。

カヌーは空にして、ひっくり返して岸の木などに結びつけておいた。強風で吹き飛ばされないようにするためだ。「薪をカヌーの下に置いておけば、雨が降っても翌朝焚き火が起こせるよ」とスコットは教えてくれいた。

午前8時15分、カヌーを押し出して湖に出た。

「レイクラバージュには気をつけて」

「レイクラバージュは長いよ」「レイクラバージュには気をつけて」
ユーコン経験者は誰もがそう口を揃えたし、旅行記にもそう書かれていた。
カヌーピープルでは「岸から100メートル以上は離れないこと」と口を酸っぱくして言われていた。風が吹けば大波が立ち、カヌーが転覆するからだ。そして水温が低いので岸にたどり着くまでに低体温症で死んでしまう。

ただ岬と岬を直線でつなげばショートカットができる。僕はカヌーの遅さに嫌気がさし始めていた。この日は風も波もない。なんとなく、だんだんと岸から離れてしまう。景色は一向に変わらなかった。実際は少しづつ変わっているのだが、あまりにも少しずつすぎて変わっている気がしなかった。

効率的なパドリング

どうすればシングルパドルが最大限の水を掴んでくれるか、どうすればカヌーがスピードを失わずに漕ぎ続けられるか、一漕ぎ一漕ぎ考えながら漕いだ。カナディアンは漕ぐのをやめるとすぐに回転してしまうので、できるだけ漕ぐのをやめずに、少しづつでも漕ぎ続けることが効率よく進む。

カヌーは止まった状態から動かし、軌道に乗せるまでが最も力を使うし、時間も消費する。これは昔、吉野川独自の和船、かんどり舟の操船を教わった時に学んだことだ。かんどり舟は全て木でできており、また木に水を含ませることで材の間の密着性を持たているのでとても重い。故にスピードに乗せるまでが大変なのだ。名人はこの船を櫂1つで操り、川を遡る。残念ながらこの舟はもう製造されていない。舟を作る釘がないのだと言う。

どこにいるのかわからない

地図の地形と見える風景を照らし合わせてながら進んだが、どこのいるかがわからなかった。
午後。左岸にある島からして、自分は湖の中盤にいるはずなのだが、該当する地形が右岸にはなかった。
僕は湖が最も狭くなり、両岸が岩場になっている場所に差し掛かっているようだった。思ったよりも進んでいる。
太陽は時折顔を出した。

ブラックバス用のクランクベイトでトローリングして見たが当たりはなかった。
ここにはレイクトラウトという魚が生息して、彼らは深みにいるそうなのだが、それを知ったのは後のことだ。

ユーコンで友人の友人のオーストリア人に出会う

後ろから2人乗りのカナディアンが追いついた。
オーストリア人の男女で、男性がウルフガング、女性がマリアン。

「僕は日本から来たんだ」というと「僕には日本人の友達がいるよ。トラッカースクールで出会ったんだ」。

「トラッカースクールの日本人……」
トラッカースクールとはアメリカ・ニュージャージー州にあるネイティブアメリカンの古来の教えを伝えるサバイバルスクールだ。僕の友人が過去に受講していたので知っていた。

念のため友人の名前を出してみた。
「それって、優作?」
「そう、ユウサク!なんで知ってるの?」

優作は元・川の学校のスタッフ。僕が新聞社の地方支局に赴任していていた時、彼はその支局に数週間居候していたのだ。その時、トラッカースクールの話を聞いたり、本を借りたりしていた。

「ユウサクは日本に帰ったらレンジャーのようなことをしたいと言っていたけどどうしてるの?」
「去年リバーガイドをやっていたけど、今はフリーのプログラマーをしているはずだよ」

優作は東大を卒業し、大企業のプログラマーだったが、違った生き方をしようと退職。その後、カナダに渡ってロシアの武術・システマの修行をしたり、アメリカでトラッカースクールに通ったりして帰国した。その後、車を買って四国や関西を転々とし、高知を気に入ってリバーガイドをしていたが、そのころできた彼女に吸い寄せられるように大阪へ移り、またプログラミングの仕事に戻った。そして気づけば結婚していた。

「よかったら今晩、一緒にパスタでも食べよう。大量に買ったから作ってあげるよ」とウルフとマリアンが言った。

カナディアンの2人乗りは1人乗りに比べて1.5倍はスピードが早い。
だけれど2人は双眼鏡で野生動物を探したり、おやつを食べたりしながらのんびり進んでいたので、体育会的に漕ぎ続ける僕とは抜きつ抜かれつだった。

午後7時、間食のラーメンを食べる。ここも地図に記されたGood Campだった。(写真)

ガイドブックによればここもグッドキャンプ

ユーコンリバークエスト

再出発してすぐに、後ろから2人乗りのカヌーやカヤックが次々と僕を追い越していった。

「レースがあるんだ」と出発直前にスコットから聞いていた。ユーコン・リバー・クエストといい、有名な犬ぞりレースユーコンクエストのカヤックカヌー版だ。僕の工程と同じく、ホワイトホース近辺からドーソンまで下る。2015年の優勝者のタイムは44時間51分7秒。ちょっと待ってくれよ。それじゃあまるで10日かけて下った僕が苦労してないみたいじゃないか。

午後9時になった。どんよりと暗いのは空を覆う雲だけでなく、日がほとんど沈んでしまったこともあるだろう。時折、細かな雨が降った。

この日照時間ならこげるのは午後10時が限度だろうと思った。ただ未だ現在地がどこかはわからなかった。水際もゴツゴツしていて傾斜が多く、キャンプ地を探すのが大変そうだった。ウルフとマリアンはかなり先を行っているようだ。
「今晩一緒にパスタを」と約束してしまった以上、僕が現れなかったら心配するだろうか。でも今は日暮れが一番の心配だ。

追い越していくユーコンクエストのカヌーやカヤックだけが人の存在を教えてくれる証拠だった。すでに十数艇が通り過ぎていた。
もうすぐ僕は取り残されるかもしれない。レースの参加者が追い越しざま”3 bahind!”(後ろにはあと3艇!)と教えてくれた。
ゴツゴツした湖畔でクマに怯えながら夜を過ごすべきか、ウルフたちがいるキャンプ地が現れるのを信じて進むべきか、決断を迫られた。
ため息が増えていたその時、岬に手を振っている人の姿が見えた。
ウルフガングだ!

14時間のパドリング

時刻は午後10時半だった。ほとんど14時間漕ぎっぱなしだった。
「あのさ、ユーコンクエストの人たちが来た時、2人とも速くなったよね」
「そうそう!負けてられないと思って!」とマリアンが笑う。

到着して15分後、周囲はヘッドライトが必要なほど暗くなり、強風が吹く嵐になった。
やはり到着はかなりギリギリだったみたいだ。ウルフは「このキャンプサイトでクマを見た人がいるらしいから火を焚いた方がいい」と言っていたが、強風で断念せざるをえなかった。

僕のコンロでパスタを茹で、ウルフたちが買ったソースをかけた。
パスタが一部焦げていたが、トマトが体に染み入るようだった。

「さあ、寝ようか」。ウルフはそう言って食料をテントの前、しかもどちらかといえば僕のに近い方に置いた。あれ、ウルフ、さっきまで「クマに警戒して焚き火を」なんて言ってたよね?

ちなみに彼らの食料入れは強固堅牢なベアバレルではなく、ホームセンターで売られているアクションパッカーという道具入れである。これも頑丈でとても便利ではあるのだけれど、クマにかかれば破壊は容易だろう。

うーんと思っている間に、ウルフはテントに入って寝てしまった。もうどうにでもなれ。

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