パリ10区、19区、20区を歩く。

注意:この記事は治安が悪いとされる同区を歩いた個人的な所感であって、地区の治安を解説するものではありません。

パリ北駅からホステルに向かう道に、
明らかに淀んだ空気が漂う通りがあった。
何人もが道でしゃがみこみ、
ゴミ箱横でカバンをひっくり返している人もいた。
おそらくは盗難品であろうと推測された。

ホステルの近くは人通りや商店も多く、
洗練された雰囲気だった。
パリ北駅が位置する10区には安いホテルが多い。

2月22日、この日はパリに住むフランス人の友人と会う予定があった。
ホステルから歩いて数百メートル、
サンマルタン運河に近いジャック・ボンセルジャンの駅で待ち合わせた。
近くのレストランでテリーヌやソーセージの郷土料理をいただき、
食後に運河沿いの散歩をした。

友人宅は運河沿いのアパート。
家賃は1500ユーロほどだそうだ。
これは12年前に借りた時から家賃が値上げされてないからで、
今同じ部屋を今借りようとしたら倍くらいするとのことだった。

引っ越しがしたくてもできないのだとか。

ちなみに友人夫婦は大学とNGOの職員。
うちの山小屋に家族で宿泊してくださった際に知り合った。

暖かい日だったので、
運河沿いには若者を中心に大勢の人がのんびりとしていた。
ただ、夜になると飲んだり、
酔って楽器を演奏する人たちの騒音に悩む日もあるそうだ。
「警察に取り締まってほしいんだけど、あんまり動いてくれないんだよね」
と彼は言う。

運河沿いを歩くと、19区のスターリングラードに着いた。
運河はここで数倍の広さになった。
両岸には映画館がある。
マイナー世界各国の映画が上映される文化の拠点でもあるようだ。

夏になると、運河の上にプールが浮き、
周囲ではボートやカヤックを楽しむ人で賑わうそうだ。
運河は15年に1度、水を抜いて大清掃されるらしい。

そのまま、坂道を登って、ビュット=ショーモン公園へ。
巨大なすり鉢状の公園で、
中央にある切り立った岩山には寺院がある。
これは全て人工のもので、
パリの街を作り上げた石材が切り出された場所だ。

パリはどこへ言っても美しい石畳や石造りの建物がある。
これは全てパリの石でできたものだと言う。
この公園も採石場だし、
地下には総延長500kmの採石場跡がある。
その一部は、陸上に収容しきれなかった遺骨をまつる地下墓地カタコンベとなっている。

カタコンベには訪れてみたが、そこは異世界だった。
華やかなパリを支える歴史が違う表情で地中に存在していた。

丘の上の静かな住宅街を通り抜けた。
この一角は全ての建物が違うデザインで、
それがパリでは異質だ。
いずれも古い建物で、
日本ではそれほどの価格がつくようには思えない。
地震が少ないことも要因なのか、
欧米では古い建物ほど価格が高くなる。

友人夫婦は、この見晴らしの良い静かな地域に住みたいんだそうだ。
空き物件を真剣な目で眺めていた。
「家賃が高すぎて無理だけどね」

隣のベルビル公園に着くと、
多文化多人種感が一層増した気がした。
アフリカ系が太鼓を叩き、白人系が日向ぼっこし、
東南アジア系が雑談している。

近くには北アフリカ系が多い地域、ベトナム人街、
少し先にはチャイナタウンがあるのだそうだ。
隣には日本のマンションのような薄くて高い建物が多く、
これは70年代に作られた低所得者層向けの住居なのだそうだ。

友人夫婦の2歳の息子と8歳の娘を、それぞれ託児所と小学校で拾った。
小学校の生徒の肌の色は多種多様で白人系が少ないと思えるほどだった。

僕の貧困な語彙では人種、民族としか表現できないので書いてしまっているが、
フランスは国家として、「人種」「民族」という概念を捨てようとしている。

憲法から「人種」の文言削除、性の平等明記へ 仏下院で合意

フランスの同時多発テロの現場の1つ「ル・カリヨン・バー」もその近くにあった。

金曜日とあって、路上に溢れるまで人が集い、賑わっていた。
友人の2歳の息子はゴミだらけの路上を、
時には人にぶつかりそうになりながらよちよち歩いていた。