やっぱりクマはこわかった。

 

 

カナダへの出発直前、久々の実家でテレビをぼうっと見ていると、普段は見ないNHKの「ダーウィンが来た」が流れてきた。
特集はアラスカのグリズリーについてだった。

以下、内容はうろ覚えである。

(カメラマン達の目の前をゆっくりと通っていくグリズリーの映像)
ナレーション「ここのクマたちは人間には興味を示しません」

ほうほう、やっぱ大丈夫だ!クマなんて恐ることはない!

しかし、少しすると、「グリズリー達をどう映像に収めたか」という説明が入った。

(テントの周りに電気柵を設置しているクルーの姿)
ナレーション「安全な撮影のためにさまざまな工夫をしています」

クルーが電気柵の計器を見せながら「ファイブ、サウザンド、ボルト」(ニヤリ)と言った。

やっぱ危ないんじゃん!

その後も浅瀬に迷い込んだアザラシがクマの餌食になる映像や、「このオスは同じグリズリーのオスすら殺した」という強烈なエピソードが紹介され、僕は恐れおののいたのだった。

熊対策ふりかえり

クマへの耐性は、昨年のユーコンである程度できたはずだった。
その時に特に役に立ったアドバイスを振り返っておく。

「テントや自分自身からは食事の匂いを最大限減らした方がいい」(北海道の林業家K)

「カヌーピープルのカヌーをレンタルした人でクマに襲われた人はいない」(カヌーピープルのスコット)

「食器をきちんと洗う、テントに食べ物を持ち込まないといった”当たり前のこと”をやっていたら大丈夫」(同上)

「クマは焚き火の匂いを嫌う」(ユーコン大好きなオーストリア人のウルフガング)

しかし、いざまた1人でクマのいる森に行くと思うと、やはり恐かった。

実際、初日から河原にたくさん、そして「まじか!」って思うくらいデカいクマの足跡が沢山あったのである。

この足跡でかい!

食料を木につるす

昨年の旅と違う点は、今年はベアバレルを使わなかったという点だ。

というもの、ベアバレルはかさばりすぎて、カヤックに乗らない。
なので防水バッグに入れていくことになった。

その場合、推奨される方法は「木の上に吊るす」という方法だ。

初日、僕はその方法を行おうとキャンプ地周りの木を見回った。
しかし、食料を吊るすのに良いような枝ぶりの木はなかなかない。

やっと横に枝が伸びている木を見つけても、どうロープをかけてよいかわからない。
スローロープを投げてかけようとするも、コントロールが悪くなかなかかからない。

やっと枝に掛かり、食料を吊るして引っ張り上げようとしても、枝とロープの摩擦が強すぎ、また食料が重すぎて、全く持ち上がらない。

その間にも刻一刻と日が暮れていく。
結局、手で持ち上げながらロープを手繰り、2メートル50センチくらいのところまで釣り上げた。とはいえ、クマが来たらこれくらいの高さなんてことないんだろう。まったく気休めでしかない。

一体どうすればいいのか?

この疑問を高校生グループの教師兼ガイドであるティモシーにぶつけてみた。

「通常は木に登って2つの木の間にロープを吊るし、その間にも食料を吊るすんだ。そうすれば高い場所につるせる。ただ僕は、木に登るリスクの方がクマに食料を取られるリスクより大きいと思っている。グリズリーが多いアラスカなんかではやった方がいいかもしれないけど。」

そしてこうアドバイスしてくれた。

「これは議論が分かれるところだけど、僕はカヤックのハッチにいれておけばいいと思う。密閉して匂いを出さないことが重要なんだ」

なるほど。以後、僕は防水バッグに自体につく食料の匂いにも気にしながら、そのバッグはカヤックのハッチにしまうようにした。

恐れすぎないこと

出発前、友人に勧められた「クマにあったらどうするか: アイヌ民族最後の狩人 姉崎等」を、ゴール地点のカーマックスで読んだ。(事前に読まなかったのは、余計にクマを想像してしまって恐ろしいからだ)

この本でアイヌの狩人である姉崎さんが繰り返し語っていたのが「クマは臆病な動物である」ということだ。
以下、同著から引用。

― ―古い時代から 、クマはなんとなく人間に近いところにいて 、人間に悪さをしないように生きてきたのでしょうか 。
「悪さはしないね 。クマは臆病だからね 。ただ 、人間と突然出くわすと 、そのとき自分が襲われたように錯覚するから 、襲われたから先にやるっていうことになる 」
― ―怖いから逆にかかってきちゃうんですね 。
「はい 。私は山を歩いていて 、クマが実際にいるのがわかっているんだけれど 、何回入っても襲われない 。クマがこちらに驚いて逃げたのがわかったら 、私の方は逃げる必要はなんにもないんです 」
― ―ヒグマっていうのは 、獰猛だっていうイメ ージが非常に強いでしょ 。そりゃ嚙めば恐ろしい力があると思うし 、腕の力もすごいだろうし 、爪の力もすごいだろうけれど 、向こうは人間を食おうなんて考えてもいないわけですね 。
「いないね 。そんなこと考えないです 。だから 、一番悪いのは知ったかぶりしてクマが獰猛だという人間が悪い 」

やはり、クマは積極的に人を襲う動物ではなく、人間と共存して生きていける動物なのだ。
不運なのは人間とクマの両者が想定外の遭遇だ。

とはいえ、繰り返すがクマはやっぱり怖い。
でもそんな気持ちも認めてもらえた気がしたのが、昨年読んだ「ベアアタック」の一節で、同著でも引用されていた星野道夫の言葉だ。

「もしもアラスカ中にクマが一頭もいなかったら 、ぼくは安心して山を歩き回ることができる 。何の心配もなく野営できる 。でもそうなったら 、アラスカは何てつまらないところになるだろう 」

もうひとつ、こちらは未読の「星野道夫の仕事 第3巻」より。

「アラスカの自然を旅していると 、たとえ出合わなくても 、いつもどこかにクマの存在を意識する 。 (中略 )クマの存在が 、人間が忘れている生物としての緊張感を呼び起こしてくれる 」

今回のクマとの遭遇

ちなみに今回の旅でクマに出会ったのは2回。

1回はテスリン川で。

川岸にクマを見つけた僕は、カヤックを岸側に近づく流れに乗せ、ビデオを回しながら、慎重に間合いを詰めた。
クマは僕の方をじっとみていた。

どの段階で逃げるのかな、と思っていたら、クマはどっしりと岩の上に腰を下ろした。

カヤックはどんどんと間合いを詰めていく。
目の前を、おそらく6メートルほどを通過した時も、クマは動かなかった。
僕が通り過ぎた直後、クマは何かを思い出したかのように、焦ってその場を去った。

残念ながら、途中でゴープロにSDカードエラーが出て、録画が止まってしまったのだが、途中まではしっかりと撮れている。

もう1匹はユーコン川で。
カーマックスのすぐ近く。

中洲の影に差し掛かった時、半身を濡らしたクマが焦って水から飛び出して逃げていった。
日当たりの良い場所だった。水深は50センチくらいの場所だろうか。
全身が濡れていたわけではないから、餌を探していたか、沐浴をしていたように思う。

このクマは岩の上にどっかり腰を下ろした前者のクマに比べて、格段に臆病だった。

クマが沐浴(?)していたのはこんなところ。

確実に言えるのは、クマに遭遇する確率は一人旅の方が格段に高い、ということだ。

去年と今年で僕は計5頭のクマを見たが、同じ時期に下った他の人からはクマを見たという話はほとんど聞かなかった。
おそらくそれは彼らが、会話をしながら下っていて、その声に気づいてクマが逃げたのだと思う。

今回も一人でのキャンプでは熟睡できなかった。
恐怖を乗り越える価値はあるのかと、出発前に自問していた。
でもそれは確かにあったように思う。
「生物としての緊張感」への気づきだ。